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政治体制の理想として民主制が掲げられてゆうに1世紀が過ぎる。
しかしながら現在として民主制は衰退の一途をたどっているように私は考える。
別段として、政治体制としての民主制に欠点があるわけでも、新たな政治体制が生まれつつあるわけでもない。
しかし民主制は確実に衰退している。

これから以下の要点を元に私の考えから説明する。

1.古代からあった民主制
2.民主主義を為しえる軍事
3.民主主義の上げ止まり
4.国民の一票の空々しさ
5.世襲制へのススメ
6.これからの民主主義
7.これからの政治体制
8.<蛇足として>直接民主制


1.古代からあった民主制

問題を考えるためには、その歴史を知ることが早いのは、賢明な御仁達ならご存じかと考える。
国の政治体制として国民一人一人の意志を反映するものに共和制がある。
歴史は古く、古代ギリシアの都市国家や古代ローマが共和国だったことはお知りのことだろう。
共和制は民主制とは微妙に異なり、直接民主制か「抽選で選出された代表者」による合議で政治決定するものと定義づけられる。
ご存じのように実際に運用された歴史は定義とは異なるが、そのような定義である。
つまり、偏りのない民衆の意志で政治決定されるべきであり、
選挙などで意志を偏らせているものは共和制ではないと言うことだ。

それに対して民主制は、もう少し間口の広いものである。
政治決定を民衆が主導的な立場で決定すれば良い。

共和制も民主制、もしくは民主主義という考え方は古代からあるものだ。
それが近代に国家として成立するようになったのは、三権分立などの哲学の発達などもあるが、もう一つ重要な要素がある。
軍事だ。

2.民主主義を為しえる軍事

近代の民主主義や自由主義の発端となったとして有名なフランス革命。
これがあったのが1789年 - 1794年である。
そしてライフル銃が一般的に広まった契機となるアメリカ独立戦争が1775年 - 1783年。
この時代の軍事とは何であったかと一言で言えば、大砲と歩兵である。

銃を持てば農民でも軍人を殺せるようになった時代と言える。
そして大砲や火薬を持ってすれば城塞は無意味となる。
少数の精鋭で城壁に籠もっても、多数の凡人に殺される時代。

レンガの家だと思ったら木の家になっていた。
中にいるのが狼だと思ったら豚だった。
自分が豚だと思っていたら狼だった。
三匹の子豚で表現すればこうだろう。

掻い摘んで言えば、銃器のお蔭で国民が立ち上がれば比較たやすく政府を打倒できたと私は考えている。

当たり前だが、古代だろうが中世だろうが国民は自分達に都合の良い指導者が欲しい
それが出来なかったのは、国民より国の方が強かったからだと私は考えている。
剣や槍や弓、そして馬は数年を要する訓練が必要だが銃は数こそ力だったということだと私は考える。

3.民主主義の上げ止まり

民主主義が為しえたのは1930年頃までであったように私は感じる。

民主主義が為しえるのは銃器のお蔭と書いた。
しかし、今の軍事の主力は銃器を持つ歩兵ではなく戦車や戦闘機のハイテク兵器だ。
ハイテクでなくとも、戦車や戦闘機はかなりの訓練を要する兵器だとは分かっていただけると考える。
戦車はそもそも機関銃兵に対抗するために、耐えきれる装甲をもった移動手段として作られたと記憶している。
単に銃器を持っても戦車には勝てず、相応の訓練が必要になる。
数が以前ほど役に立たないと言うか、数が揃えられない。

もし現代で革命を起こそうとしよう。
銃器を持った国民が多数立ち上がっても、戦闘機が空中から掃射し戦車にひき殺されて終わりだと想像できる。
もはや徴兵制は時代遅れで志願制の方が実用的と言われていることを耳にすることも多いと感じる。
それはつまり、多数を少数で制圧できる殺せると言うことでもある。
大多数の国民を一部の有力者が命を自由に出来ると言える。

そしてそれが、チベットであり北朝鮮である。
彼らは好きこのんで従っているのか、諦めているのか、もしかしたらそうかもしれない。私は感情までは分からない。
しかし、どう抗っても勝ちようがないのが事実である。

戦車や戦闘機が開発され、それが軍事用として世界各国に広まった。
その時から民主主義は、自国の力のみでは為しえなくなったと私は考える。
つまり民主主義の繁栄が上げ止まりを見せ、独裁制が息を吹き返した。

4.国民の一票の空々しさ

国が少数の軍事力で国民を制圧できると書いた。
その時に民主制の空々しさという物が感じられる。

民主制で国民がなぜ政治を決定する一票を保有することが出来るか。
これは国民全員が国を滅ぼすことが出来るからだと私は考えている。
政府は国民の言うことを聞かなければ実力で打倒されるのだから、言うことを聞かざるを得ない。

誰かが「軍事力の背景を持たない外交は無意味」との主旨の言葉を残した。
結局、何を約束しても攻め滅ぼされたら、軍事力で反故に出来るからだ
国民と政府の関係も同じだと私は感じている。
政府が国民に反発されても実力行使をされたら、国民は黙るしかなくなるではないか。
政治に関与出来るのは軍事的背景を持つ者のみ」ではないかと私は考える。

そもそも歴史的に政治とは軍事的背景を持つ者達が取り仕切ってきた。
それは単純に政治に不服を持ったときに、また持った人に、いかようにも出来る力を実際に持っていたからだった。

さて、その時に今の民主制の中で、国民に一票を行使出来るほどの軍事的背景が有るか否かだ。
私は無いと考えている。
今の多くの国の国民は自分の国を守る力も自分の国を倒す力もない
一票を声高に叫ぼうとそれを守る力もない
リア王ではないが、素寒貧になった王様が、自分を君主だと叫ぶのと同じように無様には見えないだろうか。

5.世襲制へのススメ

民主制が守れなくなったとしても、民主制が政治的に優れているならば問題はない。
積極的に変更する必要もない。
しかしいま、民主制の問題が出てきている。

衆愚政治と呼ばれるものもそうだ。
劇場型政治や政治家の人気取り、政治ではなく選挙に重点が置かれる問題。
政治に詳しい方々のこと、思いつくことは種々有ると考えるが
私が一番問題と考えているのは、政治に求められるレベルの上昇に国民の質が追いついていないことだ。

政治は昔と比べて煩雑となり多岐にわたり、とても一人で全てを意志決定は出来なくなっている。
そして、その判断すべきことも専門家ぐらいにしか分からないことも多い。
多くの政治家が、専門家から見ると頓珍漢な判断をしていると非難されるを見聞きしたこともあると考える。
例えば民間人を無作為抽出して政治について判断させ、正しい判断ができるだろうかと言えば、無理だと私は考える。
政治家も大して変わりはしない、むしろ変わりはしない方が民主制として意味があるが、それでは困る。

現在の政治にはエリートや専門家が必要であると私は考える。
政治に詳しく、政治のことのみを専門的に学び行使していく人々だ。
そのためには、専門家教育も有効だが、一番は世襲制である。
世襲制でなかった場合、専門的な教育を行っても、職を得ない場合を考えて潰しのきく教育も必要になる。
しかし世襲制の場合は専門的な教育をのみ行うことが、より自らの保身となることが都合がよい。
貴族制と言っても良い。

もちろん、有る程度の流動性は必要である。
罷免はもちろん、新たに政治家としてなることも出来る流動性だ。
それが上手く制度づけられるかが、重要な問題ではある。

公教育が発展し、殆どの国民が政治のことについて判断が出来た時代とは変わった。
殆どの国民は政治のことについて判断が出来なくなってきた、そしてなっていくと私は感じている。
その時に民主制にどれほどの優位性があるだろうか。
国民が判断できるからこそ、国は正しい発展をして、さらに国民の幸福を上げることが出来る。
しかし、国民が判断できなければ、民主制は暗君の政治と変わらない。
それならば、少数の名君達を作り選出する制度を模索していくべきではないだろうか

6.これからの民主主義

これから民主主義は衰退していくと私は書いた。
しかし、10年20年のことではない。
おそらく100年は健在だろうと私は考えている。
だが、これから民主制の国が増えることは少ないだろう。
国民が自発的な行為をもって民主制国家を作れないからだ。

近年の民主化と言えばイラクを思い出すことが出来る。
あれはアメリカの軍事的行動によって作り上げられた国だと言うことは、分かっているものと考える。
あのように上からの圧力で民主制の国家が増える可能性はある。
もし行うならば、国連主導かアメリカかだろう。

しかしそれはつまり、一面で大規模な戦争に発展する可能性があり、
そして、一面でアメリカという君主に従うただの衛星国家群となる可能性がある。
たとえば、反アメリカの勢力が政権を取ったとして、それが許されるのか。
許されないのならそれは民主主義といえるのか。
民主制の皮を被っただけで、アメリカを絶対的な君主とした君主制と言える状況もありえる。
その場合、やはり民主主義は衰退していくのだろう。

7.これからの政治体制

民主制が衰退するならば、君主制となるだろうか。
しかし、これにも問題があると私は考える。

民主制の成立する軍事的要因として、数が多いことが軍事力となると書いた。
逆に君主制は、少数で軍事力となることが重要である。
しかし、それでは実は片手落ちである。
防備が弱いからだ、防備が弱いと少数で多数を制圧できても、絶対的な強権を振るうことは無謀である。
逆に少数の精鋭で防備を突破される可能性があり、その少数が新たな君主と成り得てしまう。

絶対君主制は古来から都市の防壁や城などの城壁が信頼できるような時代になって現れるものだった。
君主は民衆に殺される心配が無いからこそ強権を振える

現在の技術であり得るのは地方地方を諸侯が統治する連邦的な国家からなる、限定的な君主制ならあるだろう。
そしてもし仮に将来革新的な防衛技術が開発された場合、絶対君主制の国も生まれると私は予測する。

その上で結論として。
私は民主主義は衰退すると考えている。
日本はその前に流動的な貴族制のようなものを目指すべきではないだろうか。


8.<蛇足として>直接民主制

蛇足だが、最近インターネットの発達により直接民主制に望みを見いだす人が目に付くようになった。
この制度について二三私の考えを述べさせていただく。

1、政治を行う余裕を持つ国民がどれだけいるか。

すでに過労死と叫ばれたり社畜という言葉が出来る世の中だ。
殆どの会社員が、これ以上の負担は望んでいないだろうと私は考える。
政治の判断は多岐にわたり、そして高度である。
それをどれだけの国民が参加できるというのか、と言う点で実用性に乏しいと考える。

2、軍事力の制御の問題。

上で書いたとおり、軍事的な背景がなくては政治判断とは無意味な場合がある。
そして問題は最終的な軍事判断を誰がするのかという問題だ。
ミサイルが飛んで来ているのに国民投票をする余裕はない。
その時に越権的に全権を発動できる存在が必要だが、それはつまりその人が軍事国家を作れる要因にもなる。
間接民主制では統帥は首相や大統領だが、直接民主制では統帥が政治を決定できないからだ。
その危機管理の問題で、危うい政治体制だと考える。

3、ネットインフラの問題

現在ネットインフラに信頼性が少ない。
国家の命運がかかる制度において運用に耐えるか。
電線ですら度々切断されることがある、電話ですら混雑時には通信出来なくなる。
ネットで大企業のサーバーが通信エラーを起こすことも珍しくない。
代議制ならば代表者があらゆる移動手段を持って意志決定の場に向かえる。
しかし、直接民主制は混乱時により強い機能麻痺を起こすことが考えられる。
その点で実用に耐えられない制度と考える。


以上の点で私は直接民主制は有効な政治体制とは考えない。
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