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中日新聞
十月二十九日 社説 「バーチャルな改憲論」


 就任後の”豹変”が指摘される安部晋三新首相も、新憲法制定への意欲は変わりません。まもなく公布六十周年を迎える日本国憲法はいぜんとして揺れています。

 戸惑いを隠せない顔の数々が目に浮かびます。安部晋三首相が誕生して一ヶ月、新首相の本当のところが見えてこないのです。
 ベストセラーになった著書「美しい国へ」は、言葉が踊るだけで具体的内容が乏しく、戦前的価値観への郷愁ばかり、と言う印象でした。それまでの首相は、ナショナリズムを鼓吹する人たちから輝く星のようにもてはやされていました。
 ところが、新政権を握ってからは様子が違います。

 どちらが”実像”なのか

 日本によるアジア侵略と植民地支配を認めた村山首相談話や、従軍慰安婦問題で強制があったことを明確にした河野官房長官談話を踏襲し、靖国神社参拝は事実上凍結です。
 これらと矛盾する過去の自分の発言は「個人の見解」と棚上げしました。中韓両国の声を無視し続けた小泉外交から舵を切ったようです。
 個人としての安部像、首相としての安部像、どちらがリアルで、どちらがバーチャルなのでしょう。
 その一方で、一九四六年十一月三日公布され、平和憲法として国際的にも評価されている日本国憲法を廃止し、新憲法を制定する熱意は衰えていないのですから「はて…」と判断に迷います。
 辞書を引くと「リアル」の項には「本物の・本当の」と、「バーチャル」は「仮想の」とあります。側近の一人で、首相補佐官となった世耕弘成参院議員が雑誌『論座』十一月号で披露しているメディア戦略を読むと、戸惑いは一層募ります。
 政策はもちろん、記者会見での話し方、カメラ位置についてのメディアへ注文、対談中の肘の付き方、視線の方向など首相に対する”振り付け”は多岐にわたります。

 欠けている現実の認識

 懸念されるのは、そのように振り付けする側も、振り付けされる側もリアルな現実認識がないのではないか、と思われることです。
 太平洋戦争中の日本人の意識と生活の記録『暗黒日記』を残したジャーナリスト、清沢洌は四五年元日のページに次のように書いています。
 「昨夜から今暁にかけ三回空襲警報なる。…日本国民は、今、初めて『戦争』を経験している。戦争は文化の母だとか、『百年戦争』だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。…戦争はそんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ」
 沖縄以外の国内が地上戦の戦場になったことはなく、政府による情報統制とそれに対するマスコミの迎合で、当時、国民は実情を知らされずに、圧倒的多数が戦争を支持してました。米軍の空襲に連日さらされるようになって、やっと戦争についてリアルな認識を持ち始めたが遅かった、と清沢は批判したのです。
 アフガニスタンやイラクでの戦争に対する日本人の意識と似通っていませんか。私たちは、遠くの、自分に見えない戦争を人ごととして傍観していなかったでしょうか。
 爆弾が落とされる下には、ミサイルを撃ち込まれる先には、必ず普通の市民が暮らしているのです。イラクでは未だに連日、沢山の人々が亡くなっています。
 国際社会に背を向けた北朝鮮の暴走は止めなければなりませんが、戦争のもたらす現実をしっかり認識してことに当たりたいものです。
 民族派の論客である、一水会顧問の鈴木邦夫さんは「今の日本では右翼団体より市民団体や右派メディアの方が過激だ」と苦笑しています。
 いまや人口の大部分が戦後世代です。阿部首相と首相を取り囲む政治家の大半も、戦争を知らない、しかも市井のホコリにまみれたことのない二、三世議員です。
 首相の変化は就任して現実の重みに直面したせいかも知れません。それでもなお、彼らの改憲とナショナリズムの主張は、戦争に対する正しい認識を欠いたまま戦争できる国を目指しているのではないか、と言う不安を感じさせます。いわばバーチャルリアリティー(仮想現実)に基づく新憲法制定論です。
 二十世紀のはじめ、デンマークの陸軍大将、フリッツ・フォルムは各国議会に自分の考えた「戦争絶滅受合法案」の制定を働きかけました。一口で説明すると、戦争開始から十時間以内に国家の元首、その親族、首相、大臣、国会議員、高級公務員など地位の高い人たちを最前線に送り込む、と言う内容です。

 戦争の顔をしてこない

これが法制化されれば憲法第九条はもっと大切にされるはずですが望み薄です。せめて局面転換に向けて「戦争は戦争の顔をしてこない」と言う言葉を反芻しましょう。
 戦争をしなかった国がいつの間にかそれの出来る仕組みを持つようになる様を描いた絵本『戦争のつくりかた』の制作に協力した翻訳家、池田香代子さんの指摘です。


話の繋がりがない文章で、社説と言うより散文と言った方が良いのではないだろうか。こんな文章を読ませて申し訳ない。

>戦争開始から十時間以内に国家の元首、その親族、首相、大臣、国会議員、高級公務員など地位の高い人たちを最前線に送り込む
敵国に攻められて戦争が始まった瞬間、その国は政治が混乱し内政が機能せず攻め滅ぼされることだろう。

>爆弾が落とされる下には、ミサイルを撃ち込まれる先には、必ず普通の市民が暮らしているのです。
何故かこの筆者は戦争時の攻撃対象は市民だと考えているらしい。敵軍を攻めるよりもせっせと普通の国民をしているのだから悠長な軍隊だ。

さてさて、この筆者が戦争に現実的な認識を持っていないのではないか。

しかし、戦争を知らない人間が正しい戦争認識が出来ないと言う論調はよく見かけるが、それが正しい論ならば、正しい戦争認識をさせるためには戦争をしなければいけないのだが、そこら辺を彼らはどう考えているのだろうか。


参考
戦争絶滅受合法案
戦争のつくりかた
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